ブログを始めて三カ月!

ブログを始めて三カ月が経つ。我ながらよく続いていると思う。

三カ月やってきて気づいた事は、テーマを重くすると余り読者が付かないことだ。自分はとかく性格上、テーマが重くなりがちである。だから中々読者が付かない。読者の為のブログではないが、書いていて読者が付くと自然励みになるし、書く気も起きる。この気持ちは、どうにもならない。

なんか書いていて随分真面目だとも思うし、すぐに結果を求めるのが自分の悪い癖だとも思う。

最初始めた理由は書く事。ひたすら書く事。自分の気持ちを書く事であった。備忘録の感覚であった。それがいつのまにか、読者目線になっている。

読者に読まれるブログが書きたい!その為には書き続けるしかないかな。頑張ろう!

名言はあったが、、、

先日、妻とリア王の舞台を池袋の東京芸術劇場で観た。その中で「鉄は熱いうちに打て」という良く聞く名言がでた。この名言はシェイクスピアだったんだ。と思った。シェイクスピアは巷で良く聞く名言を作品の中で出す。

その他、この作品の中でも「人は今が最悪の状態と言える間は、最悪でない」とかあり、流石大劇作家と感心した。

ストーリーは傲慢な王が娘夫婦たちから疎外されて、最後は破滅するという内容。現代風の衣装で斬新ではあったが、セリフが難解であり、正直余り楽しめなかった。まあ、テレビで良く観る俳優を生で見れたし、良しとするかぐらいの感動であった。それを感動というのかは疑問ではあるが、、、文学作品は難しい!

 

 

本棚を買った。

先日、前から欲しかった本棚を購入した。本の背表紙を見ていると、本好きの自分はすごく落ちつく。格納した本はほとんどは最近買った本であるから、自分の気に入った本ばかりである。買った時の自分の状況や心の状態を思い出すのは楽しい。この本を読んでいた時は、こんな状況だったなとか思い出す。至福の時である。

でも、本棚の設置は長男に手伝って貰った。夫婦二人では棚自体が重くてどうしようもないので、長男に助けて貰った。さすがに若いだけあって、さっさと組み立ててくれた。お礼に出前を頼んで三人で釜飯を食べた。

でも、本棚をよく見ると、思いの外、本が少ない。棚はスカスカである。最近はほとんど図書館で借りてるからか、購入した本は少ない。でも、それでも自分は納得している。

これからは図書館で借りて読んだ本の中で、特に気に入ったものは買うことにした。本棚の棚を少しずつ埋めていく楽しみが増えた。

 

 

席を譲らない若者

今日、図書館の帰りにバスに乗った。障害者手帳があり、バスは無料になるので重宝している。自分は脳梗塞片麻痺である。

バスの中は適度に混雑しており、三十代ぐらいの男性の若者が優先席で座って、仕切りにスマホで漫画を読んでいた。そこにヨボヨボの高齢者の女性が乗ってきた。席を譲るのかと思ったがスマホに夢中で気が付かず、当然、最後まで席は譲らなかった。実は気づいていたかもしれないが。降りる停留所は自分と一緒だったので、降りる時も、歩きながらスマホを見ていた。

自分を含めて誰も注意はしなかった。関わりたくなかったからである。下手に関わり面倒に巻き込まれたくないと言う気持ちが先に立ってしまった。

その後に自分は強烈な自己嫌悪に陥った。何度も自分に問いかけた。何で注意しなかったんだろうと。きっと妻が一緒だったら注意していたかもしれない。

車内で席を譲ること。これは自分も片麻痺になる前は、余り意識はしていなかった。片麻痺になってからは席を譲らない若者を見ると無性に腹が立つ。確かに譲って貰って当たり前といった元気な高齢者もいるのも事実だが。

健康な人は周りに気を配って欲しい。特にバスや電車では、高齢者や障害者には気を配って欲しい。自分もいつかはそういう立場になるのだから。

東京マラソンに心震えた。

今朝、新聞のテレビ版を見たら、東京マラソンを中継するのが分かった。東京マラソン箱根駅伝はなるべく見るようにしている。

楽しみにしているのは、以前、中央区の水天宮に住んでおり、そこが中継されるからである。知っている場所が出るからである。選手がどうこうというのでない。

今日の東京マラソンで最後のパリ五輪に出場する選手が決まるらしいが、余り興味はなかった。ひたすら住んでいた所ばかりが気になった。「知ってる店が出てる。通院しているクリニックがある。先生歩いてないかな。」とかどうでもいいことで喜んでいた。血圧も150ぐらいまで上がった。心震えたのはそんなことである。

本当にマラソンが好きな人には申し訳ないことだが、本音だから仕方がない。

水天宮に住んでいた時は、東京マラソンを直に見たのは2回ぐらいしかなかった。江戸川区に移ってからは、しきりに懐かしくなり、テレビのグルメ番組とかで出てくるのも楽しみになっている。

「人は失ってから、その大切さを知る」と良くいうが、まさに実感である。

最後の晩餐は?

今日のブログはパソコンで書いている。やっぱりスマホの方が書きやすいな!

散歩してきてから、これを書いている。散歩しながらラジオ番組を聞いていたら、ピーター・バラカンさんが「最後の晩餐」は何が食べたい?という話をしていた。

バラカンさんは「鯛めし」と言っていた。以前、愛媛でその姿焼きを食べたらしい。

でも、たまたま、その日は、魚を東京で広める活動をしている白石さんという方をゲストに迎えていた。白石さんは少し押しの強い年配の女性であった。だから少し気を使ったのかな?少し忖度したのかな?と穿った見方をしてしまった。

じゃあ、自分はいったい何だろう?

やっぱりカレーライスかな。代表的な家庭料理である。ラーメンじゃなく、断然、自分はカレーライスだ。

自分でも作ることができるが、自分じゃなく、妻が作ったカレーライスだ。それもあまり凝ったものでなく、ごく普通のカレーライスだ。何も妻に忖度している訳ではない。

人に作ってもらったものはうまい。外食は除いて、自分以外で作ってもらえる人は妻しかいない。だから、妻が作った普通のカレーライスが良い。

何かのろけ話のようなブログを書いてしまった。でもこれは自分の本音である。

カフェで常連になること。

新しいカフェには平日の月曜日の午前中に行く。座る席もオーダーするメニューも決まっている。必ず水とナプキン2枚を使う。オーダーを取りに来るのも決まった女性である。笑顔が素敵である。

今日も席に着くとその女性が早速来て、オーダーを取り、水とナプキン2枚を持ってきた。

カフェで常連になるのは、気恥ずかしい反面、良いこともあるんだと思った。このことを妻に話そうか迷っている。最近妻との会話もないから、ちょうど良い会話のネタになるかな。

コーヒー一杯しか注文しない客なのに申し訳ないとも思うが、まあ常連だから良いかなと思っている。

それにしても、この時間は圧倒的に女性客が多く賑やかである。それに今日はやけに混んでるな。SNSで仕切りに宣伝してるからな。

そんな中で一人読書をしたり、ブログを書いている。